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大阪市福島区の了徳院は、「福島聖天」「浦江の聖天さん」の名で親しまれてきた東寺真言宗のお寺です。JR福島駅から歩いて数分の住宅地にあり、参道にあたる聖天通商店街は「売れても占い商店街」としても知られています。
大阪市の案内、摂津国八十八所の札所紹介、商店街のページなどを開いて、2026年10月時点で読める情報を整理します。
浦江の聖天さんの成り立ち
まずは寺の名前と祀られている仏さま、そして創建から戦災と復興までの歩みを、資料ごとに順に見ていきましょう。
寺の名前と祀られている仏さま
摂津国八十八所巡礼の第4番の紹介ページは、了徳院を山号「如意山」、宗派「東寺真言宗」、本尊「準胝観世音菩薩」、俗称「福島聖天さん」と紹介しています。大阪市の歴史の散歩道「浦江聖天」も、正式な寺名を如意山了徳院とし、創建は不明ながら元文元年(1736)再興の伝えがあり、戦災でほとんど焼失したものの山門は難をのがれたと説明しています。浦江は、このあたりの古い地名です。
聖天さまと呼ばれる歓喜天は、山門を通って鐘楼を左に見ながら突き当たりまで進んだ所にある「聖天堂」に祀られています。古くから伏見宮家の祈願所で、御紋「桔梗に十六菊花」をいただいていました。ウィキペディアの了徳院の項目は本尊を準胝観音と十一面観音(大聖歓喜天)とし、本堂に十一面観世音菩薩(大聖歓喜天)を安置すると説明しています。歓喜天を十一面観音と結びつけて祀る形は、聖天さまのお寺でよく見られるものです。
福島聖天通商店街の「商店街の歴史」のページは、象頭人身の歓喜天は秘仏で、男女和合や縁結びのご利益があるとされ、とくに女性の参拝でにぎわっていると紹介しています。ご本尊の姿は、ふだん目にすることができません。
本尊の書き方は資料によって少しずつ違います。札所の一覧では本尊を準胝観世音菩薩だけとし、歓喜天は聖天堂の仏さまという扱いです。一方、個人の寺社紹介サイト「大阪の神社仏閣 了徳院」は、本尊を準胝観世音菩薩と十一面観音菩薩の二つとし、山号の如意山や大阪四不動北方霊場であることもあわせて載せています。札所としての本尊は観音堂の準胝観音、「聖天さん」としてお参りする仏さまは本堂の歓喜天と理解しておくと、現地の案内も読みやすくなるでしょう。
歓喜天がこの地に現れたいきさつについては、浦江がまだ海岸だったころ、漁師の網にかかって海中から出現したという言い伝えが残ります。境内の写真を並べたこの個人サイトには、正面の鳥居や「聖天尊碑」、准胝観音堂の姿も写っていて、出かける前に境内の様子をつかむのにも役立つでしょう。
もう一つの本尊である準胝観音は、江戸時代に高田屋嘉兵衛が寄進したもので観音堂に祀られ、今は秘仏として厨子に納められています。御開扉は4月第1日曜日と8月15日の年2回です。高田屋は浦江聖天にすがって北前船の事業を繁栄させたとも伝わり、商いの縁を感じさせます。
創建から戦災、そして復興まで
創建の時期ははっきりしません。洪水のさいに古い記録が失われたため詳しくはわからず、元文元年(1736年)3月に高野山から来た宥意上人が再建中興したといわれています。
もう少し細かな伝えでは、宥意上人は高野山善寿院の僧で、竣功は元文4年(1739年)10月です。その後また衰えたのを、天保5年(1834年)に僧某が堂宇を再建したとも記録されており、江戸時代の中ごろから後期にかけて、少なくとも2度の再建を経てきたことになります。当時のこの土地にはいくつかの水路が流れ込み、境内の水辺には杜若が群生して、花の時期には参拝客であふれたといいます。松尾芭蕉が門弟と訪れて句を残したのも、こうした水辺の杜若が目当てだったのでしょう。週刊大阪日日新聞の2023年6月の記事は、了徳院を江戸時代以前に建立され400年以上の歴史があるお寺と紹介しています。
境内の大部分が失われたのは、太平洋戦争の空襲です。1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲で、山門と白髭稲荷大明神を除いて焼失し、戦後に復興しました。幸い難をのがれた山門は、寺院建築丸角流の代表作とされる江戸時代の再建で、子持ち龍の彫刻が残っています。空襲を免れた白髭稲荷大明神は、今も境内にお社があり、今の本堂や諸堂の多くは戦後の建物で、江戸時代の姿を伝えるのは山門ということになります。
戦後になって、寺には新しい仏さまも加わりました。昭和62年に梅田の旧国鉄貨物操作場跡地の再開発工事で、地中2メートルの深さから享保3年(1718年)製作の地蔵尊が掘り出され、「よなおし地蔵」として当寺に安置されました。梅田の再開発と福島の聖天さんが、こうした形でつながっているのは興味深いです。
札所としての顔もあり、了徳院は摂津国八十八所の第4番で、前後の札所は第3番和光寺と第5番持明院にあたり、大阪四不動北方霊場にも数えられています。巡礼の途中で立ち寄る人もいれば、近所の人が日々のお参りに通う、地域に根づいたお寺です。2023年6月の時点で住職は16代目の高岡義光住職が務め、幼稚園「和光園」の園長も兼ねています。和光園はこの年で68年目を迎えた園で、戦後の昭和30年ごろから境内で子どもたちを見守ってきたことになります。
境内の見どころと文化財の表記
戦災を免れた山門と、芭蕉ゆかりの杜若の句碑を中心に、境内で見ておきたいものと文化財の表記を見ていきましょう。
丸角流の山門と子持ち龍の彫刻
了徳院でまず目を向けたいのが山門です。大阪市の歴史の散歩道は、山門を寺院建築丸角流の代表作とし、ほかに平野の大念仏寺本堂があると紹介するものの、文化財の指定の有無には触れていません。商店街の歴史のページは、山門を「建築意匠の丸角流が美しい」と表し、四天王寺鐘楼の金剛流と並ぶ有名な様式で、屋根下には子持ち龍の彫刻が施されているとして、見出しでは「大阪府の文化財」と書いています。
この龍の彫刻を詳しく紹介しているのが、社寺彫刻やだんじり彫刻を記録している個人ブログ「彫物名鑑 小松堂」です。2025年8月の記事は、山門に巨大な龍があり、側面に仔龍らしきものがいるとし、彫師は不明で、製作は明治末期から大正期ではないかと推測しています。親の龍のそばに小さな龍を添えた図柄で、見上げると迫力があり、鐘楼には獅子鼻が彫られているとも書いており、山門をくぐった後に鐘楼を見上げるのも楽しみになります。
注意したいのは、文化財としての扱いが資料によって違って見える点です。大阪市の福島区の都市景観資源のページも、丸角流の山門は大阪府の文化財に指定されていると書いています。2023年6月の週刊大阪日日新聞の記事は、子持ち龍の彫刻を大阪府の重要文化財と表現しています。
一方で、大阪府の府内指定等文化財一覧表(大阪市)の福島区の欄には、国の重要文化財の工芸品や国の登録文化財のミナミ株式会社の建物、海老江八坂神社の行事、市指定の本遇寺の阿弥陀如来画像や圓満寺の真宗関係史料などが並ぶものの、鷺洲の了徳院は載っていません。府指定の有形文化財(建造物)の一覧にも、福島区の建物は含まれていません。
指定文化財かどうかは、一覧で確かめられない以上、断定しないでおくのが安全でしょう。指定の種類や時期を知りたいときは、お寺に直接たずねるか、市内の史跡の問い合わせ先である大阪市教育委員会事務局総務部文化財保護課(電話06-6208-9166、ファックス06-6201-5759)に確かめるのが確実です。窓口は大阪市北区中之島1丁目3番20号の大阪市庁舎3階にあります。いずれにしても、戦災を生き延びた江戸時代の山門が、浦江の聖天さんの歴史を最もよく伝える建物であることに変わりはありません。
芭蕉の杜若の句碑と境内のお堂
了徳院は、松尾芭蕉の句碑があることでも知られています。札所の紹介ページは、元禄元年(1688年)に浪速を訪れた芭蕉が、美しく咲いたかきつばたを見て「杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉」と詠んだといい、境内の弁天池に句碑が残ると書いています。このあたりは、かきつばたの名所としても知られてきました。
句の成り立ちを詳しく調べているのが、芭蕉の句碑をめぐる個人サイトの「杜若語るも旅のひとつ哉」のページです。このページは、句の出典を『笈の小文』とし、「大坂にてある人のもとにて」という前書きがあること、貞享5年(1688年)4月に芭蕉が大坂の一笑宅に泊まったことを、芭蕉の書簡とともに紹介しています。句碑については、文化11年に俳人三津人が主宰する月夜庵社が建立したもので、『諸国翁墳記』に「杜若塚 摂北浦江了徳院境内」とあるという記載です。
中村浩の『句碑のある風景』(1976年)には、了徳院の北にあった料亭「冨竹」の庭にも芭蕉の句碑が2基あったという記録もあるほどです。天保15年(1844年)建立の「名月や池をめぐりて夜もすがら」の碑は行方不明で、昭和39年(1964年)建立の「杜若かたるも旅のひとつかな」の碑は「ファミール福島」の庭にあるといいます。
境内の見どころは、句碑だけではありません。ウィキペディアの項目は、本堂、准胝観音堂、不動堂、地蔵堂、役行者石塔、白髭稲荷大明神、五重石塔、芭蕉杜若句碑、弁財天、鐘楼、保育所和光園、庫裏、山門を挙げています。個人サイトの大阪の神社仏閣のページには、修行大師像、おもかる石、水掛不動尊像、さざれ石、交差する2本の大根の写真が並ぶ構成です。
境内には弁財天、十一面観音、白髭稲荷大明神、阿弥陀如来、弘法大師、世直し地蔵など見どころが多く、休憩所もあって自由に散策できます。神仏習合の雰囲気が残る境内は、聖天堂だけを拝んで帰るにはもったいない広がりがあります。
石造物の中でも聖天さまのお寺らしいのが、交差する2本の大根の意匠です。大根は聖天さまへのお供え物として知られ、二股大根を組み合わせた図柄は各地の聖天さまのお寺で見られます。境内をひと回りしながら、どこにこの意匠があるか探してみるのもよいでしょう。
聖天通商店街と占いのまち
了徳院の参道にあたる聖天通商店街の歴史と、易相家の水野南北に由来する「占いのまち」の取り組みを見ていきましょう。
参道として栄えた聖天通商店街
福島聖天通商店街は、了徳院へのお参りの道として発展した商店街です。商店街の歴史のページは、浦江の聖天さんへの参拝道として古くから発展し、心斎橋筋、九条新道、十丁目筋(現在の天神橋筋)の各商店街と並び称され、戦前は大阪の4大商店街といわれたと書いています。大阪市の都市景観資源のページも、聖天さんの参道は聖天通り商店街として江戸時代から栄えていたと伝える内容です。
古い写真からも、当時のにぎわいがうかがえますね。大正7年(1918年)の神林堂本舗や、昭和初期(1929年)の通りの写真には、六角形の行灯風の街路灯と、帆布で開け閉めする簡易アーケードが写っています。大正初期に玉造一丁目で創業した「玉一」は、昭和7年(1932年)に聖天通へ移り、昭和23年(1948年)に今の店へ移転したといい、古くからの店が今も続いていることがわかります。
近年は、西梅田地区の大規模開発で周辺の様子が大きく変わりました。阪神福島駅の地下化の跡地に平成11年春にホテル阪神が移転開業し、JR東西線の新福島駅も誕生して、USJの成功などもあり、デザイナービルやエスニック料理店、おしゃれな飲食店が次々に開いたといいます。商店街は平成11年12月に振興組合として法人化し、平成13年から14年3月にかけて街路灯やアーチを新しくし、通りをカラー舗装にしたといいます。こうした取り組みが評価され、全国商店街振興組合連合会から法人化のモデル商店街として全国で唯一推挙され、平成14年8月から15年3月にかけて啓蒙用のVTRが撮影されました。
了徳院は「聖天了徳院」として、福島区の都市景観資源の一つに選ばれています。大阪市都市景観委員会の講評は、さまざまな宗教的または歴史的な建造物が並び立ち、それをめぐる山門からのアプローチが風情を醸し出しているとし、この地区では数少ない樹木の茂る緑地が残っていると評価しています。
いまの聖天通は、飲食店や小劇場も並ぶ通りです。Xでも、商店街のバーの営業案内や、商店街にある「聖天通劇場」での公演案内の投稿が多く見られ、寄席や芝居を目当てに訪れる人もいることがうかがえます。お参りの前後に商店街を歩けば、参道として栄えてきた町の今の姿も感じられるでしょう。
水野南北と「売れても占い商店街」
聖天通商店街が「占いの商店街」を名乗るのは、了徳院にゆかりのある人物がきっかけです。商店街の「売れても占い」のページは、易相の大家である水野南北(1760年~1837年)が、放蕩無頼だった青年期に院主の諭しによって大成し、以来熱心な信者になったと書いています。江戸後期の寛政から天保にかけて全国に3千もの易相の弟子を育てたことが企画と調査の段階でわかり、「占いの商店街」構想のきっかけになったと説明しています。
水野南北は、食の慎みが運命を左右すると説いたことで知られる人物です。キッコーマンの食文化ライブラリーの蔵書案内には、『相法脩身録』を現代語訳した『食は命 食の慎しみ方によって運命がわかれる』(成星出版、1997年)が載っています。「食は命なり」の名言で知られる南北が名実ともに占いの大家となったのは、院主に諭されて発起したからだと伝わります。
平成14年8月23日の夜店で「売れても占い商店街」を打ち出すと、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌に取り上げられ、推定1万6千人が訪れました。これを機に占い館を常設し、毎月第4金曜日には占い師20~30人の規模で通りに出店する「売れて売れても占いデー」を始めたといいます。
常設の占い館は今も営業していて、3号館は午前11時から午後9時まで(日曜・祝日は午後1時から6時)で、毎週日曜日にも占いができるようになりました。年中無休(年末年始とお盆を除く)、4号館は月曜から土曜の午前11時から午後9時までで、当日の見料は2,000円です。第4金曜日の占いデーは午後3時から8時で、約30名の占い師が出店し、当日の見料は1,000円とされています。「占い予約券」の発売は14時45分ごろの予定とされ、占いの問い合わせ先には福島聖天通商店街振興組合(06-6458-4070)と4号館の米原さん(06-6452-1613)が載っています。
Xでは、占い師が商店街の占いイベントへの出演を案内する投稿があり、鑑定は約20分でチケット制、月1回のイベントは通常の半額になるという記載です。4号館への出展日を知らせる投稿もあります。出演日は占い師ごとに変わるので、出かける前にスケジュールを確かめておきたいです。
お参りの日と年中行事、ご利益
お参りの日を決める手がかりとして、毎月の縁日や年中行事の日付と、歓喜天のご利益、境内や町の季節の花を順番に見ていきましょう。
毎月の縁日と年中行事
了徳院の行事は、摂津国八十八所の札所紹介ページにまとまっています。毎月の行事は次のとおりです。
- 毎月1日・16日 聖天さん命日
- 毎月21日 弘法大師(修行大師尊像)命日
- 毎月24日 子安地蔵(延命地蔵)命日
- 毎月28日 不動尊命日
毎月28日の不動尊命日は、境内の不動堂に祀られた不動明王にお参りする日でもあります。
聖天さまのお参りに合わせるなら、毎月1日と16日を目安にするとよいでしょう。2026年11月は1日が日曜日、16日が月曜日、12月は1日が火曜日、16日が水曜日にあたります。商店街の歴史のページも、毎月1日と16日の縁日には田中正治先生による易占もあると書き、了徳院(06-6451-7193)への電話での予約もできるという案内です。ただし、この易占の案内がいつ書かれたものかはページから読み取れず、今も続いているかどうかはお寺に確かめる必要があります。
主な年中行事は、2月3日の節分星祭り祈禱、4月第1日曜日の大護摩祈修、8月23日・24日の地蔵盆の3つです。準胝観音の御開扉は4月第1日曜日と8月15日なので、4月第1日曜日は大護摩祈修と御開扉が重なる日になります。秘仏の準胝観音を拝みたい人は、この日を目指して計画を立てるとよいでしょう。
節分の星祭りは、その年の星回りに合わせて災いを除き福を招く祈禱として、真言宗のお寺で広く行われている行事です。了徳院の星祭りの申込方法や祈禱料は、公開されている案内には見当たりません。申し込みを考えるなら、年が明けたら早めに電話でたずねておくと安心です。
行事の日付は、資料が作られた時点の情報だという点も覚えておきたいです。行事の一覧には更新日が見当たらず、毎年同じ日に行われるとは限りません。とくに大護摩や地蔵盆のように日曜日や特定の日に決まっている行事は、その年の暦や寺の事情で変わることもあります。お寺には公式サイトが見つからなかったため、出かける前に電話で確かめるのが確実です。8月の地蔵盆と毎月24日の子安地蔵の命日は、境内の地蔵堂や、梅田の地中から出た「よなおし地蔵」にお参りする機会にもなります。地蔵盆は地域の子どもたちの行事として根づいていることが多く、お参りの雰囲気も通常の日とは違ってくるでしょう。
歓喜天のご利益と季節の花
聖天さんのご利益は「富を得て男女睦ましく子宝に恵まれる」と伝わり、歓喜天をお祀りしてお祈りすれば、富を与えて男女仲睦まじくなり、子宝に恵まれるといいます。ウィキペディアの項目も、子宝、縁結びを願う信仰に支えられ、浦江聖天、福島聖天と呼ばれて親しまれたと説明しています。
歓喜天は、象の頭をもつ二体が抱き合う姿で表されることが多い仏さまです。夫婦和合や縁結びのご利益と結びつけられてきたのはそのためで、了徳院でも同じ信仰が受け継がれています。商売繁盛を願う参拝者も多く、北前船で財をなした高田屋嘉兵衛の話は、商いの神としての聖天さまの姿をよく表しています。
了徳院は、花の寺としても知られるお寺です。大阪市の都市景観資源のページは、境内の桜・藤・杜若などが目を楽しませていると書いています。境内の亀の池ではカキツバタが5月の初旬に色とりどりの花を咲かせ、福島区の花に指定されている野田藤の古木も毎年美しい花をつけます。
野田藤については、福島区役所の区の概要のページが詳しいです。区の花「のだふじ」は豊かな房が特徴で、平成7年に区の花に制定されたとし、約600年前の南北朝時代には「吉野の桜」「高雄の紅葉」とともに三大名所といわれたと説明しています。福島区の名所・旧跡のページは、野田藤の名は明治になって植物学者の牧野富太郎博士が「ノダフジ」と命名したことによるという記載です。一般のヤマフジのつるが左巻きなのに対し、ノダフジは右巻きなのが特徴だといいます。明治以後は衰えて一時はほとんど絶えたものの、福島ライオンズクラブが中心となって再生運動を進め、昭和46年に藤家に残っていた古木への接ぎ木に成功し、今では区内の各所で春に見られるようになりました。野田藤発祥の地とされる春日神社(玉川2丁目)には高さ約1.2メートルの「野田の藤跡」の石碑があり、貞治3年(1364年)に足利義詮が、文禄3年(1594年)に豊臣秀吉が藤の花見に訪れたと伝わります。
杜若と藤は、どちらも春から初夏の花です。浦江のあたりは、江戸時代の初めごろは一面の湿地帯で、かきつばたの名所だったとされます。4月下旬から5月にかけて訪れれば、藤と杜若の両方を楽しめる年もあるでしょう。花の時期は年によって前後するため、見ごろの情報は出かける直前に確かめてください。
アクセスと参拝前に確かめたいこと
最後に、最寄り駅からの行き方と駐車場、御朱印と問い合わせ先について、資料ごとの書き方の違いもあわせて見ていきましょう。
最寄り駅からの行き方と駐車場
了徳院の所在地は、大阪市福島区鷺洲2丁目14番1号です。札所の紹介ページは、最寄り駅をJR環状線・阪神本線の「福島」駅から北西へ徒歩5分、JR東西線の「新福島」駅から北へ徒歩8分、駐車場を4台とし、FAXとホームページはどちらも「なし」としています。ウィキペディアの項目も、JR大阪環状線の福島駅から北西へ徒歩5分という記載です。
個人サイトの大阪の神社仏閣のページは、JR環状線の福島駅から徒歩約7分、JR東西線の新福島駅と阪神の福島駅から徒歩約10分としていて、少し長めに見積もっています。どの出口を使うか、商店街の店を見ながら歩くかで所要時間は変わるので、5分から10分ほどと考えておけばよいでしょう。福島区役所の区の概要のページは、福島区を区内に九つの駅をもつ交通の要衝と紹介しており、大阪駅や梅田の側から歩いて向かう人もいます。商店街の通りをそのまま北西へ進めばお寺に着くので、初めてでも迷いにくい道順です。
バスを使う方法もあります。大阪市の歴史の散歩道は、大阪シティバスの「福島八丁目」で降りて北西に約200メートルと案内しています。バスを降りてからは、歩いて数分で山門の前に着く距離です。大阪市内の史跡をつなぐこの散策コースでは、浦江聖天は「中之島・鶴見コース」の10番目に置かれています。ほかの史跡とあわせて歩く計画を立てるときにも使えます。
車なら、阪神高速の「梅田」出入口から約5分です。駐車場は数台(無料)とする案内と4台とする案内があり、台数が少ないうえ、縁日や行事の日には混み合うことも考えられるため、できるだけ電車かバスで出かけるのがよいでしょう。駐車場の場所や使える時間はどの資料にも書かれていないため、車で行くなら事前に電話で確かめておきたいです。
拝観料は無料で、境内は自由に歩けます。2023年6月の週刊大阪日日新聞の記事も、休憩所があり自由に散策できると書き、住所を「鷺洲本通2-14-1」としています。ただし境内には保育所の和光園もあるため、子どもたちの出入りがある時間帯は、静かにお参りするよう心がけたいものです。大きな声での会話や、園舎にカメラを向けるような撮影は控えておきましょう。
御朱印と問い合わせ先
御朱印を受けたい人は、事前の連絡が欠かせません。了徳院の納経時間は「直接お尋ねください」とされ、訪問には事前の連絡が必要です。食事と休憩・宿泊は不可となっています。摂津国八十八所を巡っていて納経をお願いしたい場合は、日程が決まった段階で電話を入れておくのが確実でしょう。
御朱印には、了徳院のものと摂津国八十八ヶ所霊場のものがあります。どちらを受けられるかや、書き置きか直書きかといった点は、資料からは読み取れません。電話のときに、御朱印帳を持参すること、受けたい御朱印の種類を伝えておくと話が早いはずです。
札所巡りの納経については、摂津国八十八所霊場会の公式サイトが目安を示しており、受付時間は寺院ごとに違うものの、朝9時ごろから夕方4時ごろまでに巡拝するよう勧めています。いくつかの札所を兼ねる寺院もあるため、「摂津国八十八ケ所」の納経巡拝であると申し出てほしいとも書いています。2026年1月15日に改定した納経料は、納経帳が500円、笈摺が300円で、専用の納経帳で満願した人には「満願之証」が渡される仕組みです。
問い合わせ先の電話番号は06-6451-7193で、どの資料でも同じです。福島聖天通商店街の「商店街の歴史」のページは、FAXとして06-6453-0337を、了徳院のURLとして monk-forum.org のアドレスを載せていますが、FAXは「なし」とする札所の一覧と食い違い、URLのページは2026年10月29日の時点で表示されません。連絡は電話を基本にするのがよいでしょう。地図アプリで調べるときは、正式な住所の「鷺洲2-14-1」で探すと迷いません。
付近の名所・旧跡には、了徳院の境内にある浦江聖天杜若跡のほか、持明院、妙寿寺、聖天通り商店街があります。持明院は摂津国八十八所の第5番なので、札所巡りの人は了徳院の次にそのまま向かえる位置関係です。
公式サイトは見当たらないため、了徳院の最新情報は電話で確かめるのがいちばん確実だということになります。
Xでは、秋晴れの日に奈良から大阪の寺社めぐりに出かけ、了徳院(福島聖天さん)を訪れたという投稿が見られます。遠方から聖天さま巡りの一つとして足を運ぶ人もいるようです。商店街での食事や占い、近くの春日神社(野田藤発祥の地)とあわせて、半日ほどの散策を組み立ててみるのも楽しいでしょう。
まとめ
了徳院は、漁師の網から現れたと伝わる歓喜天を祀る「浦江の聖天さん」です。戦災を免れた丸角流の山門、芭蕉の杜若の句碑、参道の聖天通商店街と見どころが多く、聖天さまのお参りは毎月1日と16日が目安になります。
公式サイトが見つからないため、御朱印や行事の日程は電話で確かめてから出かけてください。